スキップしてメイン コンテンツに移動

教え上手と学び上手。

 僕のジャンベの歴史を簡単に振り返ってみると、

独学から始まり、現地に渡りアフリカの師匠から教わり、

帰って日本で仲間と切磋琢磨し、飽きたり、ハマったりを繰り返し、

今尚、学ぶ立場ではありますが、教えると言う立場にも立たせてもらっている。

だから、ジャンベに関して言えば、


創り出す事(独学)も、学ぶ事(教わる)も、競争する事(切磋琢磨)も、

伝える事(教える)も経験してきた。

 小学校5年の時の音楽の筆記テストで人生初の0点を取った自分が、

まさか音楽を教える立場になるとは、人生もなかなか笑える。


どんな学問でもそうだと思うが「教える」と言うことに関して

「上手い、上手くない」と言う言葉で先生を評価、判断する事ができる。

しかしその言葉は同時に、学ぶ方にも「教わる」ことに関して、

「上手い、上手くない」と言う形で返ってくるのである。

そんな事を一番初めに意識したのは、ギニアに初めて行った時。

 初日に出会った、先生イブロの元でレッスンを受け、一週間ほど経った頃、

コナクリの先端にある、断崖絶壁に建てられた塀の外側の、

幅2メートルくらいの獣道であるいつもの場所へ練習をしに行ったら、

先客がいた。


西洋人の生徒一人に、ギニア人勢が5人くらいで並んで太鼓を叩いている。

いつもマンツーマンだった僕には、その光景が豪華に輝かしく映った。

 イブロも先生陣とは知り合いだったらしく、楽しげに話し込んでいる。

シャルと名乗った、そのフランス人は丁度やってたリズムを

理解しきれなかった途中のようで、非常にイラついた様子だった。

先生達の談合の結果、とりあえず、その日一緒に練習する事になった。

シャルは仕事の関係上、以前からコナクリに住んでいて、半年ほど前から、

ジャンベを習っていたらしく、沢山のリズムに挑戦していた。

が、出来ない事を指摘されるほどに、ああからさまに機嫌が悪くなって行った。

 シャルの先生も、まだ幼かったが相当な叩き手で、

気持ちもシャルに負けないくらい強かったので、指摘も段々強くなり、

最後には「あれ?喧嘩してるの?」くらいヒートアップしていった。

(3年後に訪れたら、道が侵食で無くなってしまった練習場所)

 その後、何度かその場所で、顔を合わせる内に、

合同でレッスンをする事も増え、シャルは僕の兄弟子的存在となった。

その後、フランスでもお世話になったりとシャルを理解した今、

大切な兄弟子なのですが、出会った当初は素直にそう思えませんでした。

 先生を、見下してるようにも見えたり、ふてくされてみたり、すぐ怒る。

ある日の練習の帰り道なんか、練習で機嫌が悪くなったのを引きずり、

道バタで楽しげにサッカーをしている集団の所に、

車のクラクションを鳴らしながら「お前らどけー!」って、突っ込んでいく。

「世界中みんなに八つ当たり」する彼の姿には、さすがに笑えたが、

その当時の彼の言動は「教わる人の姿勢」ではなかった。



 その結果なのか、やはり彼は新しい事を一向に覚えなかった。

やはり、教わる時は自分の気持ちを出来るだけクリーンにして、

感謝しながら学んだ方が、自分に吸収されやすい。


 そんな兄弟子を隣で見ながら、我が振り直すように、僕は学ぶ事ができた。

そして、どんな時でもイブロは水牛のように、どっしりと構え、

感情に埋もれて(怒りながら)僕らに接する事がなかった。

イブロ自身、その当時、太鼓を叩きだしてから2年くらいしか経っていなかった。

子供の頃、隣国シリアレオネで育ち、船乗りとして世界を見てきた後、

大人になってから太鼓を学んだので、分からない人の気持ちを理解してくれた。

だからこそ、イブロの説明は分かりやすかった。


「怒り」の感情は、時に「生み出す」力や、「奮い立たす」力になるが、

「教える、教わる」と言う伝達の中では、どちらにも邪魔になる。

同じ太鼓を叩くでも、

教わる時と、表現する時は、心理状態が変わるもの。


「怒り」だけに限らず、「喜怒哀楽」激しすぎる感情は「伝達」の邪魔になる。

しかし、表現者となればその感情の起伏が、人々に感動を与えたりする。

これを教訓めいた言葉で言うなら、

「良い演奏者が、必ずしも良い先生ではない」と言う事。(逆もしかり)

ここで言う良い先生」とは「分からない人の気持ちをわかった」上で、

「伝達」「理解させる」事が上手と言う意味。

もちろん、そこが一致している事が理想なんだと思うけど、

「良い先生が」、必ずしも誰にとっても良い先生とは限らないとも思う。

真似が上手で、盗み上手、なんでも吸収しようとする「学びタイプ」の人や、

ジャンベの上級者にとっては、すぐに答えをくれる「良い先生」よりも、

むしろ、無言でも年輪を感じるリズムを聞かせてくれたり、その時々によって

臨機応変にリズムを操る「良い演奏者」からの方が多く学べると思う。

アフリカの伝統を見てみても、先生が具体的に説明する場面は皆無である。

だから、「教え上手」とはアフリカの外に出てからの概念であり、

アフリカ人の生徒達は全てこの「学びタイプ」とも言う事ができる。

逆に日本人は、義務教育の癖が抜けずに、先生の導き出す正解を飲み込む、

受動的な「教わり上手」にはなれるが、

先生の正解以上の情報(ぱっと見、関係なさそうなものも含め)を得ようとする

能動的な「学び上手」は珍しい存在でもあるのかもしれない。


どちらが、良し悪しの問題ではなく、

先生選びには、まず自分自身のタイプを知る事が大切なのだ。

結局、良い先生とは「その人にとっての」と言うことであり、

本人の好み、レベルや性格、環境によって変わってくる。

感情や思い込みで、受動態を塞いでしまったら、どんな人からも学べないし、

逆に「学ぼう」と言う姿勢でいれば、誰からでも「学べる」のである。

そして、そもそも、教わりたいと思ったその衝動を思い出して、

「良い生徒」になる以上に、「良い演奏者」になる事を目指し、

素直に「学びたい」と思える先生の元で学ぶのが一番である。

イブロは僕にとって最高の先生でした!


先生        生徒

表現者タイプ  ◎ 学び上手
表現者タイプ      △ 教わり上手
表現者タイプ  ✖️ 教わり下手
教え上手        ◯ 学び上手
     教え上手         ◎     教わり上手
      教え上手      ◯      教わり下手












 

コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

ンゴニのすすめ

 今日はンゴニを皆さんにおすすめしたいと思います。 ンゴニの良さを語る前に、ンゴニの簡単な説明をしておく必要がありますね。  ンゴニとは西アフリカで演奏されている弦楽器の事で、直訳すると「ハープ」の事。 それを扱う、人間の種類によって、3種類に分類されています。  狩人の使う「ドンソンゴニ」    グリオ(ジェリ)の使う「ジェリンゴニ」  若者(誰でも)が使える「カマレンゴニ」。  アフリカの社会には、インドのカースト制とまでは行かないが、世襲制の職業がある。 音楽家や、鍛冶屋、狩人など、専門色が強くなればなるほど、現在まで残っています。 ドンソンゴニ(donso ngoni)  広大で乾燥した土地にあるアフリカでは、食べ物を持って来てくれる狩人(ドンソ)に 畏敬の念を抱いている。  彼らは、狩りをするだけでなく、医者であり、呪術師であり、音楽家でもある。 命を扱うドンソに、目には見えない力を人々が望んだのか? 命を扱うごとに、見えない力が芽生えてくるのか?  ドンソは見えない力を使って、自然に感謝し、人々を癒し、時に人を呪い、 歴史や自然の教えてくれた法則などを、人々に伝える。  その時、ドンソは猟銃をドンソンゴニに持ち替えて、語り、唄を歌い、大地を舞う。 ジェリンゴニ(djeli ngoni)  グリオやジェリと呼ばれるアフリカの世襲制のミュージシャンは現在、 グローバル化により世界中に飛び散り、各地でアフリカの文化を伝達していている。 彼らは、お父さんもおじいさんも、そのまたおじいさんもグリオであり、一昔前まで、 グリオは歩く図書館として、アフリカの大地を旅しながら、 各地に歴史や歌を届けていた。  そんなグリオ達が使っているンゴニがジェリンゴニである。  グリオによっては王様のお抱え音楽家として、王様が眠る為にコラという弦楽器を 弾いたり。バラフォン(木琴)や太鼓系など、家系によって扱う楽器も様々だ。  マリからガンビアまで、大河二ジェール沿いを中心にグリオの歩いた道と